研究室紹介


【技術教育学研究室とは】


 旧制七帝大(東大・京大・北海道大・東北大・九州大・大阪大・名古屋大)に戦後学制改革とともに設置された教育学部に、技術教育学という講座がおかれて いるのは名古屋大学だけである。北海道大学には産業教育講座がおかれており、類似の研究領域をもっていると考えられる。ただ、北大のそれは長く労働問題の 研究に取り組んできた歴史があり、教育学研究にはならない状態が長く続いたことも否定できない。東京大学教育学部の学校教育学(教育方法)関連の講座を長 く担当された細谷俊夫教授のもとで技術教育学分野のの研究者は多く育ってきた。細谷教授の退官後は、技術教育を研究対象とする研究者は、本研究室が主とし てこの分野の研究者養成を担ってきた歴史が長く続いてきたといえるように思われる(近年は、いくつかの教員養成大学大学院(東京学芸大学、兵庫教育大学、 広島大学)の技術科教室に博士課程が設置され、この分野の研究者が育成され始めたことも付記しておく)。
 そもそも名古屋大学に技術教育学という講座がおかれた背景には、新制大学としての名古屋大学教育学部の初代学部長であった細谷俊夫教授の文部省への働きかけがあったといわれている。また、名古屋大学教育学部社会教育講座の創設以来、小堀勉助教授が「職業技術教育」の分野も視野に入れて研究していた。社会教育講座におけるこの伝統は、その後も新海英行教授の研究にも色濃くあらわれていた(とりわけ、ドイツ労働者教育史研究など)。この伝統は、2000年4月に教育学研究科が大講座制に移行して教 育発達科学研究科に改組されたときに、技術教育学講座は第4領域として技術職業教育学領域と改名したが、その際に人材開発科学領域が第5番目の領域として新設されたことに影響を与えたと考えられる。なお、この人材開発科学領域は、初代教授として就任された田中宣秀教授が退官された後に、寺田盛紀教授が移られ、領域名を職業キャリア教育学領域に改めた。それと同時に技術職業教育学領域は、技術教育学領域となった。これが今日の技術教育学研究室である。


【技術教育学研究室の歴史】


 本研究室は、1970年に講座外講座として設置されることが決定されたことに始まる。講座外講座とは、政令に定められたいわゆる管制上の講座ではなく、近い将来に管制上の講座とすることを目途とした、その芽として、学部内措置により設置されたものである(『名古屋大学教育学部三十年の歩み』より)。
 1971年4月に初代教授として、長谷川淳教授が就任した(1976年3月まで)。その後、1976年4月に、長谷川淳教授の後任として佐々木享助教授が 就任(1996年3月退官)。森下一期助教授が1985年4月に就任(1990年3月和光高校に転出)。その後に寺田盛紀助教授が1995年4月に就任。 1999年4月に横山悦生助教授が就任した。2000年4月の大学院改組により、技術教育学講座は、生涯発達教育学講座のなかの第4番目の領域として、技術職業教育学領域となった。先に書いたように、2007年4月に人材開発科学領域に寺田教授が移り、その領域が職業キャリア教育学領域に再編されるとともに、技術職業教育学領域は技術教育学領域に改名した。